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戦国時代・上杉家の執政・直江兼続の偉業を紹介する専門サイトです。主に米沢での偉業を中心にご紹介します。

越後から、上杉家移封に伴い越後から移動した寺です。直江兼続が立ち寄り、米沢の町が出来て行く姿を眺めたといわれています。

西明寺(直江兼続が米沢の町を眺めた地)

直江兼続 詩碑 直江兼続の詩が刻まれた碑
西明寺展望に題す
直江山城守兼続詩
遠山西に望む 西明寺
はるかに憶う 最明寺投宿の秋
暮日林間まさに 外にめぐらんとし
無端の衣色 金風に満つ

碑から眺める米沢市 直江兼続の詩碑から眺める米沢市
直江兼続の詩碑のあたりから米沢市街が見渡せます。直江兼続は、出来上がり行く米沢の町をここから眺め、何を想ったのでしょう・・・。
 西明寺は米沢市街の西南、なでら山の麓にあります。元々は越後にあった寺でしたが、上杉家が会津、米沢と移封になる度に移動してきました。
 この寺は、町中より高めの場所にあるため、米沢市街が見渡せます。 直江兼続は、時々この寺を訪れて、米沢の町が出来て行く様を眺めていたと言われています。
 鷹狩りの際に寺に立ち寄り詠まれたという詩が、石碑として寺院内に建てられています。

 西明寺には、直江兼続の詩碑の他、上杉綱勝が会津から嫁いだ媛姫の病気全快を祈願して植えたといわれる『虎尾樅(トラノオモミ)』の木(山形県指定文化財(天然記念物))、綱勝公が再建したといわれる薬師堂、そして米沢市指定文化財である西明寺木造十一面観音坐像があります。
 また西明寺の北には、伊達政宗の父・輝宗を弔うために建てられた覚範寺(かくはんじ)跡があります。


西明寺 境内
西明寺西明寺本堂
西明寺が越後にあった際、最明寺入道(北条時頼)が立ち寄ったという伝承が寺号の由来となっています。創建は鎌倉時代中期と伝えられています。
十一面観音堂 十一面観音堂
直江兼続の詩碑からすぐのところにある観音堂です。米沢市指定文化財である「西明寺十一面観音坐像」が祀られています。


薬師堂 上杉綱勝が再建した薬師堂
上杉綱勝が再建した薬師堂です。本尊の薬師如来像は、鎌倉初期の作といわれています。
虎尾樅 虎尾樅(とらのおもみ)の木
綱勝公が、会津から来た媛姫の病気全快を祈願して、会津若松から取り寄せて植えたといわれる虎尾樅(とらのおもみ)の木。薬師堂の右に見える大木で、木の周囲が3mあります。この地方には珍しい木として、山形県指定文化財(天然記念物)に指定されています。