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戦国時代・上杉家の執政・直江兼続の偉業を紹介する専門サイトです。主に米沢での偉業を中心にご紹介します。

青年となった直江兼続は、主である上杉景勝を支え、上杉家の内乱を収め他国へのにらみを効かせるべくその才能を発揮していきます。

直江兼続 −青年期−

上杉景勝の家督相続
 天正6年(1578年)、上杉謙信が突然亡くなります。その跡目を争って景勝ともう一人の養子景虎の間で戦が起こりました。俗にいう「御館の乱」です。この戦で若干19歳の兼続がその才気を発揮し見事勝利。景勝が上杉家の家督を相続しました。

直江家相続
 景勝の側近直江信綱が不慮の事故でなくなると、兼続は景勝の命で、信綱の妻お船の婿養子となり、跡取りのいない直江家を継ぎました。
 お船の方は兼続より3歳年上でしたが、聡明な女性で常に兼続を陰で支えました。夫婦仲もよく一男二女を儲けました。お船の方は後に景勝の嫡子定勝の養育を任されています。

豊臣政権時代
 豊臣政権時代、景勝は秀吉との信頼関係を築き、また小田原征伐、佐渡征伐、朝鮮出兵などの功績により5大老にまで上りつめました。この陰には兼続の軍師としての活躍がみてとれます。その証拠に、景勝が越後92万石より会津120万石に加増移封されると、兼続には出羽米沢30万石の所領を、秀吉じきじきに与えられています。