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戦国時代・上杉家の執政・直江兼続の偉業を紹介する専門サイトです。主に米沢での偉業を中心にご紹介します。

2011年9月23日に行われた時代行列と長谷堂の戦いについて

トピックス −2011年上杉まつり−時代行列・長谷堂の戦い

 秋空の下、直江兼続を始めとした米沢に関わる偉人を紹介する時代行列が行われました。
上杉景勝公と菊姫
上杉景勝と菊姫
直江兼続
直江兼続
お船の方
お船の方
時代行列出場者のみなさん
時代行列出場者のみなさん

 歴史に名高い関ヶ原の合戦。その合戦の最中に上杉軍対最上軍による「もう一つの関ヶ原」と称される合戦「長谷堂の戦い」がありました。
会場である伝国の杜前広場全体を使った、山形おきたま愛の武将隊らの迫力ある「長谷堂の戦い」に、多くの観客が見入りました。
家康からの糾問状を読む上杉景勝・直江兼続
徳川家康からの糾問状を読む上杉景勝・直江兼続
直江状に激怒する徳川家康直江状に激怒し、上杉討伐を決める徳川家康
伊達家領地である米沢奪還の策を練る伊達政宗<
伊達家の領地を取り返す策を練る伊達政宗・片倉小十朗
両軍入り乱れての戦闘
挙兵を決意する石田三成と島左近
徳川軍追撃はなしの決意をする上杉景勝
西に引き返す徳川軍を追撃するよう進言する兼続と、
上杉の義を諭す景勝
切り結ぶ武将
最上へ向け出陣する上杉軍
後半の見せ場、高坂隊の川渡り
迎え撃つ最上善光
両軍入り乱れての戦闘
上杉軍撤退。伊達政宗と戦う前田慶次
後半の見せ場、高坂隊の川渡り
合戦後、上杉家存続が認められた景勝と兼続。
平和な世を築く決意をする
両軍入り乱れての戦闘
出演者のみなさん

長谷堂の戦い
「プロローグ」戦国時代〜蠢く陰謀〜
 時は群雄割拠の戦国時代末期、秀吉亡き後次の天下人をめぐり豊臣家臣団の乱れが始まり、徳川家康の覇権をかけた策動が蠢く。この激動の渦中に上杉の精神を受け継いだ上杉景勝と直江兼続もいた。
1.「仁の章」直江状
 「上杉に不信有り」と徳川家康が西笑承兌(さいしょうじょうだい)に命じて直江兼続宛に上杉への糾問状を送る。それに対し、直江兼続が反論の書状を送る。これが「直江状」である。これを機に家康が全国の諸大名を大阪城に集め、上杉討伐を宣言する。
2.「義の章」伊達政宗 白石城を攻略
 関ヶ原で東西軍が大激突する二ヶ月前に前哨戦が勃発。上杉領白石城が落城。伊達政宗が虎視眈々と伊達家の領地を取り返す策を練る。
3.「礼の章」石田三成の挙兵
 石田三成が徳川家康を弾劾する書状「内府ちかいの条々」を全大名に送り兵を集結させる。挙兵の知らせに、徳川軍が西に引き返す。直江兼続は好機とし、追撃を上杉景勝に進言する。だが、上杉の義に反すると諭される。
4.「智の章」上杉軍 最上へ出陣
 西からの脅威は消失し、上杉領をうかがうものは、出羽の最上善光だけとなる。上杉にとって好機となり、念願の越後奪回に向け最上討伐と軍議は一決した。それを聞きつけ、武勇名高い者たちが参陣する。
5.「忠の章」長谷堂の戦い
 直江兼続の指揮により畑谷城が落城する。慶長出羽合戦最大の悲劇の場面。勢いに乗る上杉軍に恐れる最上善光。伊達政宗への援軍要請、そして、鮭延秀綱・楯岡光直を長谷堂城におくる。
6.「信の章」関ヶ原 西軍敗戦の知らせ
 管沢山の上杉軍に西軍敗戦の知らせが届き、直江兼続が撤退を決断する。
7.「孝の章」上杉軍撤退
 伊達の援軍が到着し、ますます激しくなる撤退戦。そのなか、上杉の上泉泰綱が戦死。そして、最上善光が兜に銃弾を受ける。
8.「悌の章」上杉の未来
 直江兼続は、上杉家の存続の道を模索し上杉景勝に進言する。のち上杉景勝と兼続は、徳川家康に和議を申し入れるため謁見する。上杉家の存続が認められ米沢三十万石となる。景勝・兼続は、平和な世を築くことを誓う。
フィナーレ
 愛の武将隊のパフォーマンス
「長谷堂の戦い」−上杉まつりプログラムより−